「考える力」→「情報編集力」

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大喜利のようなもの

こんにちは、代表の小林です。今日は、考える力に関して思ったことを書いてみようと思います。

情報編集力

興味深い対談記事がでていました。日経新聞の対談でサッカー元日本代表の岩政氏と奈良市立一条高等学校の藤原校長との対談です。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO21626630Y7A920C1000000/

内容は記事を見ていただきたいのですが、ざっと概要を書くと、「今の子供達は何かと正解を求めたがる」といい、サッカーは時間が流れていく中でそれぞれの選手が判断して動かなければならないスポーツであることから「自分で考えろ」ということを言っても、自分でどう考えたら良いかがわからない。今の子が考えられないのは考える教育をしていないからとし、今の学校教育は正解をよりたくさん詰め込んで、メモリーを最大に増やす「正解主義の教育」、「情報処理能力偏重の教育」であるという話になります。ただ、今の社会で求められてきているのは、正解が一つではないことに対して、自分が納得して、他者を納得させられる「納得解」であると書いています。それには情報を瞬時に編集して組み立てていく力「情報編集力」が必要になるとしています。(この後の話は違う話になるので、実際の記事を見てください。「ロールプレー」の話などは別の機会で触れたく思います。)

考える力と知識

私もこの意見には同感です。実体験としても、大学院でその手の「考えられない学生」を少なからず見てきました。そして、この状況を変えることがこの事業をスタートさせたモチベーションの一つでもあります。これからの世の中で求められるのは、「考える力」。情報をうまく料理し、状況に合わせた解を得ていく力が重要です。一応誤解のないように書いておきますが、知識は知識で必要です。考えるためには、事柄を知らないと考えようがないからです。ただ、知っているだけではコンピュータには勝てないのです。うまく知識を組み合わせて、新たなものを見つける。James W Youngの著書で、今井茂雄訳, 「アイディアのつくり方」という本がありますが、その中で「アイディアとは「既存の要素の新しい組み合わせ」以外の何ものでもない」としています。いかにいろいろな要素を組み合わせられるか。このことが、新しいアイディアを生むのです。

大喜利のようなもの

私の実施しているプログラミング教育は、プログラミングを「表現をするための手段」として使いつつ、新しいアイディアを創りだす練習をしていると思っています。授業の中では何かしらの制作課題(お題)はあるのですが、そのお題にそいつつ自分なりの何かを作る、ということです。いわば、笑点の大喜利のようなものです。司会の春風亭昇太からお題がでて、それに対してネタを披露する。短時間でうまく考えをまとめて人を笑わせるというものです。ただ、大喜利をやるためには落語で培ってきた経験や時事ネタのような情報がいる。同じようにプログラムを作るためには知識がいるのです。そのため、大喜利だけやっているのではなく、古典落語もする。制作課題をやるだけではなく、プログラムを書くための知識を修得する練習もしています。自分なりの思いがあり、しっかりとアレンジを加えてプログラムを作る子供もいれば、何をしたら良いだろうといろいろ試しながら方向性を模索するのを繰り返している子供もいます。人それぞれ、同じお題でも出来上がるものは大きく違ってきます。それで大喜利のように発表をしてもらい、聞き手の笑い(納得)が取れるかを試すのです。笑いが取れるものもいれば、そうではないものもいます。それはそれでまた次に繋がる。その中で得られるものがあれば良いと思っています。

さあ、今日も未来のクリエイターを育てるべく、大喜利をやりましょうか。

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